連日コロナウィルス報道がつづき
穏やかならぬ日々ですが、いかがお過ごしでしょうか。
この落ち着きならない年度末に
壮大な本を読んで、心を落ち着かせています。
宗教と哲学全史(出口治明著)
読後、次の2点を肝に銘じました。
1.闇雲に恐れない
イスラーム教を例に、無知な自分を発見しました
今回のコロナウィルスも知ることから
2.謙虚に生きる
社会人類学者レヴィ=ストロースの言葉を読んでハッとしました
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」
人間の世界を生きているのではない、
様々な生物のいる地球でわたしたち人間は生かされてるのだと
生かされた命、ヒステリックではない方向にエネルギーを使いたいものです
学生という身分を卒業しても
先輩方の書籍をとおして勉強できるシアワセを噛みしめている今日この頃です。
その他、自分メモに掲載しておきます。
宗教と哲学全史(出口治明著)
231ページ
悟りを求めるために、ブッダは社会的な地位と妻子を捨て、修行の道に入りました。
イエスはおそらくマグダラのマリアを愛していたのでしょうが、殉教者として死を選びました。
ブッダとイエスは、普通の人生ではなくいわば出家者、世捨て人として生涯を終えました。
これに対してムハンマドは、修正、普通の人生を送った人でした。
普通の人生を送った人で、しかも商業をなりわいとしていた人が作った宗教がイスラム教です。
という事は、多くの人が受け入れがたい極端な思想や攻撃的な行動を教義とすることをおよそ考えられません。
例えば六信五行の教えにしても、それほど無理はなく、それなりに合理的です。
他人を攻撃ばかりしていては、そもそも商売が成り立ちません。
今日でもイスラム世界のモスクを尋ねると周辺には迷路になったような大きな商店街が広がっていることにきづきます。
233ページ
神の言葉はいつも唯一無二なので、クルアーンを翻訳することは許されません。
世界中のモスクから聞こえてくるのはアラビア語の祈りです。
参考文献として翻訳依頼されていますのでその意味をそれぞれの言語で教えられている事でしょう。
こうして世界中のムスリムは、耳からアラビア語を理解するようになっていきます。
日本語の新約聖書を読んでいる日本人のキリスト教と
ドイツ語の新約聖書を読んでいるドイツ人のキリスト教徒か出会っても、
もしも2人がお互いの言語を理解できなかったり、
リンガフランカ(国際語)である英語を話せなかったりしたら、
この2人がキリスト教について議論するのは不可能です。
けれどもムスリムは、同じアラビア語でクルアーンを学んでいますから、
初歩的なコミニケーションが可能でしょう。
クルアーンを覚えるにはアラビア語を覚えるしかありません。
そのことによって世界中のムスリムがつながっていく側面を、イスラム教を持っています。
結果として普及しやすい宗教になっていたのでしょう
442ページ
世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう
世界の存在は人間の意思や認識によって認められたものではない。
世界は勝手に始まり勝手に終わるものだ。レヴィストロースはそのように考えました。
自然の摂理の前で人間をもっと謙虚にならなければならないと。
地球の生命は星のかけらから誕生し、やがて地球の水が涸れたときに絶滅することがすでに解明されています。
レヴィストロースの考え方は、自然科学的にも正しかったのです。
伝統的な哲学者の最後の1人として、人間の実在を認識について一生懸命に考えていたフッサールが、
レヴィストロースのことを聞いたら、俺の哲学って何だったんだろうと深く嘆いたかもしれません。
悲しき熱帯は、中公クラシックスから川田順造訳で出版されています。
レヴィストロースの構造主義が登場して哲学の役割は終わったのだろうか?
世界はどうして生まれたのか?
人間はどこから来てどこへ行くのか?
人間は何のために生きてるのか?
そのような根本的な命題を念頭において、人間の哲学と宗教のあゆみを20世紀まで追いかけてきました。
第二次世界大戦が終わった時、世界の多くの人々が次のように考えました。
もう一度、人間は進歩できるのではないか。ヘーゲルの絶対意思やマルクスの唯物史観によってではなく、
自由な人間が主体的に行動することによって
この考え方は自由社会で大きな支持を得ました。
サルトルのことは知らなくても、このイデオロギーは、いまだに根強く残っています。
けれどレヴィ=ストロースは、人間は自由な存在ではないし、主体的にも大した行動ができないとの認識をしました。
この徹底的な唯物論の思考が登場したことで人間の思考パターンはほとんど出尽くしたように思われます。
これからの時代、大学の哲学科に進もうと考える学生がたくさんいるのかな、そんなことも心配になります。
自然科学が発達し脳の学問も進歩した結果、人間の世界から未知の分野は激減しました。
哲学や神学そして宗教が果たしてきた役割は、どんどん小さくなっている事は現在の世界の趨勢であるようにも思われます。
人々の哲学や宗教への関心が薄くなるのは当然かもしれません。第一、就活には役に立たない、そんな声が聞こえてきそうです。
しかし、人間が何千年と言う長い歴史の中で、よりよく生きるために、また死の恐怖から逃れるために、
必死に考えてきたことの結晶が哲学と宗教の歴史でもあります。
もしかすると、どこかに明日の扉を開く重大なヒントされているのかもしれません。
少なくとも僕はそう信じてこの本を書きました。
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関連記事です。出口氏由来の記事を3つご紹介します。
地元基山の東明館中学高校の講演会の模様です。
お子様がいらっしゃる方必見。「保護者へ子育て3つのアドバイス。」
勇気をもらえる池谷裕二氏(脳科学者)の名著。
「うちの子は記憶力がなくて・・・」これも嘆く必要はありません。
記憶力の曖昧さは想像力の源泉!
歴史的大作「クアトロラガッツィ天正少年使節と世界帝国」の紹介記事。
巻末でわたしは涙しました。
微力の積み重ねが歴史をつくる
時代の流れを握った者だけが歴史を作るのではない。
権力を握った者だけが偉大なのではない。
ここは権力にさからい、これと戦った無名の人びとがおおぜい出てくる。
これらの少年たちは、みずから強い意志をもってそれぞれの人生をまっとうした。したがって彼らはその人生においてヒーローだ。
そしてもし無名の無数の人びとがみなヒーローでなかったら、歴史をたどることになんの意味があるだろうか。
なぜならわたしたちの多くはその無名のひとりなのだから。
長くなりました。今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。