樹木希林さんの食育

全身ガンを公表し
惜しまれつつお亡くなりになった
名女優・樹木希林さん。

先日、紹介した本の中には
樹木希林さんの食についての考えも
書かれていて、一読の価値がありました。

下記、ご紹介します。

17ページ

大事にしたのは食べることだけ。
そこらで間に合わせるなんじゃなくて、
どんなに不味くてもご飯と味噌汁と、
家で作った食べさせることだけはやってました。
でもそれだけ。

53ページ

私ね、おいしいものって、人と食べるのが嫌いなの。
しゃべってとどんどん飲んじゃってさ、
ここはもっと噛み締めたいなと思っているのに
「ええそうなんですね」なんて余計なこと言ってるうちに
なんかつまんないことになっちゃうから。

おいしいものは1人で食べる。
それが、私のテクニックなの。
顔で、形で、嬉しいっていうふうにしているうちに、
忘れちゃうっていうこと、ありますよ。

281ページあとがき

「もったいない、あまりにも命がもったいない・・・」
また、この旅の始まりとなった言葉に舞い戻ります。

変な喩えですが、母は食べ物を残すことを心底嫌がり、
レストランでも自分や友人の残り物を自前の容器に入れて持ち帰り、
あとでアレンジして最後まで食べ切りました。

どこへ行くにも箸を携帯し(高級なフレンチでも!)
まっさらなナプキンを着席するやいなや店員さんに返し、
持参のハンカチかティッシュで代用します。

同じレストラン内には、口に合わないで食べ残す人や、
膝下のナプキンを床に落としただけで新しいものに交換する人さえいる中、
このいかんともしがたい不一致に私は戸惑いました。

何より、私にはそのマナー違反の数々が
恥ずかしくてたまりませんでしたが、
母はものともせず
「だって、もったいないじゃない。
自分のものを使えばゴミも洗い物もわずかでも減るし、
その分、他の誰かが使えるじゃない」

この一点張りなのです。

これはほんの一例に過ぎず、
生活にかかるすべての事柄に
このもったいない精神を貫きました。

けれども今、ようやくわかり始めたのは、
母は環境のこともさることながら、
そこに関わる人の思いや、費やされる時間と労力といったプロセスに
思いをはせていたということ。

例えば、農家の人が手塩にかけて成し得た野菜も肉も、
漁師がまだ暗い早朝に過酷な海で釣り上げた魚も、
それらを何十年もの修行を経たシェフが技術を駆使し、結晶させたものが料理なのです。

あらゆる物語が紡がけなければ、
自分の目の前に存在すらできなかった、そのひと皿…

きっと、そういう背景をどこにでも感じてる人だったのでしょう。

では、その遺伝子を受け継いでいる私自身はどうなのか。
母は意外にも自分の哲学を娘に押し付けませんでしたが、
娘はどこか周りと違うことを恥ずかしがり、
彼女の振る舞いを敬遠していました。

でも、こうして、そのうとましかった習慣が身辺から消えた今こそ、
より鮮明に母がしてきたことの真髄を感じ取ろうとする自分もいるのです。
人との比較でなく、自分の心に向き合い、
また、そのことで生じる摩擦も含め、人の営みをおもしろがってきた母。

その軌跡こそがすなわち、彼女というひとりの人間が生まれて、生きた証なのです。
こうしてみると、私が彼女の死から学んだのは、
その長さにかかわらず、最後まで全うして初めて、
生まれてきたことの由縁が分かるかもしれないということ。

そして、人は死んでしまったら、もう二度と蘇らないということ。

きっと、母の意とした「もったいない」は、
「せっかく生まれたのなら、無理して急がず、
最後に自分がどんな轍を残せたり、どんな景色を見られるのか、
それを楽しみにしていきましょうよ」

そんなことではないか、と今なら共に感じられるのです。

大事にしたのは食べることだけ。
家で作った食べさせることだけはやってました。
でもそれだけ。

なんか励みになりますね。
親としてしてあげれることはとてもシンプルなのかもしれません。

それにしても、高級フレンチでのエピソード。
自分にはできるかなあ。

ナプキンはできたとしても、
食べ残しを持ち帰ることは・・・笑

筋のとおった演技は、
日常の一コマ一コマから
表現されるものだったのかもしれませんね。

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