夏休みは、日常をはなれて
良著とむきあいたくなる時間です。
ばななさんの本で「食べる」がよく出てくる。
食べることと幸福をかみしめたくなる一冊。
人生の旅をゆく3(吉本ばなな著)
引用しながら感じたことをコメントします。
5ページ
手元にあるたった1枚の書類から、
1本の電話から、1つの食材から。
コツコツと積み重ねることで、
いつの間にか大きな何かが生まれている。
はじめは小さく頼りなく、こんなこと始めなければよかった、
めども立たないし、誰にも気づいてもらえない・・・
そう思うだろう。
でもやがてそれは自分だけが
この世に生み出した壮大な景色になる。
これまでこの世になかったものが、
自分のこの小さな手によって初めて創られる。
人生に実るそんな果実
それを幸福と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
のぼりざか
くだりざか
まさか
まさかってネガティブイメージだけど
そんなことはない。
そう思わせてくれる一節。
67ページ
そんなふうに世界が、
急に思いもやらないものを私にくれる時、
生きていることを実感する。
そんなサプライズを、
あなたの人生にも見つけてほしい
それはライフスタイルが決まり、
これが自分だと顔を上げていられるようになって初めて、
やってくる面白いご褒美なのだ。
沖縄にかぎらない
自然が身近な暮らしをすれば
とても自然にみにつく感覚
82ページ
ギリギリまで働いていたい、
浜にいたい、畑にいたい、歌いたい、
みんなのごはんを作っていたい。
願いはそれぞれ違えど、細長い島の上でみんなが
後に続く人たちになにかを与えたい、
自分とその土地にしかないものを守りたいと思っている。
必死なだけではなく、
ときにはてーげー(てきとう)に、
人生を楽しみながら。
——–
土肥とい
伊豆で吉本家が毎年1週間休暇した場所
——–
かわらない自然、かわりつづける自分。
かわらないものが身近にあるシアワセ。
114ページ
時間を過ぎていき、
彼はもうお風呂でレストランごっこをしたりしないし、
女湯に入ることはない。
私とハワイの友達だって
そんなに仲良しなのに離れて暮らしているから、
あと何回いっしょに旅ができるかだれにもわからない。
そんなこともあんなこともみんな、
山たちは見ているんだ、そう思った。
大きなものに見られている暮らしは安心する。
少し怖い気持ちも手伝って、
自分の小ささがわかるのが何よりいいと思う。
わたしの経験したドイツもそうだった。
休みは公園でボーっとする。
昼にバーベキューをして一日を終える。
とにかくボーっとできる
時間や場所があちらこちらに溢れている。
そんな余白がミライの活力となる。
126ページ
自分の1日の仕事は終わった、
リセットして夜を始めよう。
わくわくしてあれこれプランを練って・・・
人生に恋をしている、そんな甘い気持ち。
べろんべろんに
深酒する必要なんかない。
ただそのいっとき、
何もかも忘れて1日の終わりを祝福し、楽しむ。
そういう時間が日本の人たちに
必要なんじゃないかと思う。
今日はこれでいいか、とりあえず軽く飲んで帰ろうか、
いい夕方だね、なんだか楽しくなってきたね。
そこにあるお酒と食べ物がなんであれ、
心に栄養がしみわたる。それが大切なのだ。
つかずはなれず
人生の終末においても
大切にしたいし、されたい
271ページ
思い出を語り合うのではなく、
少しでも治ってもらおうと力むのでもなく、
ただ共に時間を過ごして、
絡んできたらちょっと離れて、
できることは人に頼んで、
ちょっとだけ自分の好きなことをして、
でも好きなことに逃げこまずにいるのが。
家族のなかに
かわらないゆるぎない日常があれば
同じように心を落ち着かせてくれる
その役割をダイニングが担うのだ。
290ページ
昔、人がやたらと引っ越さずに
同じ町に一生いた頃は、
こんなふうに町や自然が
人々の営みを助けてくれたのに違いない。
あの人がひとり、いなくなった。
でもまだみんないる。
町も変わらない。海も山も変わらない。
そんなふうに、不在の悲しみよりも
急には変わらないものの存在が、
心を落ちつかせてくれる。
以上。