給食にみる人をより良くする歴史

給食についておもいをめぐらした「給食の歴史」という本。
なかなか良書でしたよ。ぜひご覧ください。

 

給食と教育のつながり。給食をとおして食育を考える契機となりそうです。
いやあ大げさではなく、食って良い人をつくるんだよなあと改めて実感。

 

全国の給食関係者の方に敬意を表して今回の記事をしめます。

 

私のなかでは基山小学校の鶏肉のレモン煮というメニュー。
勤続年数の長いスタッフが伝統の味を継承しています。
おすすめです。おいしいよっ!

 

それでは読書メモです。著者のファンになりつつあります。

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まえがきv
本書は、何よりも給食の可能性のために書かれるだろう。
これから見ていくとおり、原理的かつ原初的には、
給食は子供たちの生を明日につなぐ行為であり、そのありさまがにじみ出る場所である。

 

237ページ
郷土の給食

 

給食の質は全体としてみれば改善されてきている。
食の多様化とともに、占領期や発展期には考えられなかった
充実した給食も登場するようになった。

 

フレーベル館から出版された
日本全国給食図鑑東日本編と
日本全国給食図鑑西日本編は、
空腹時の読書にはお勧めできない味覚刺激型の図鑑だ。

 

実際にあった各都道府県の小学校給食の献立から郷土料理を選び、
学校の協力のもと編集部でメニューを再現してある。

 

静岡県浜松市内の小中学校でうなぎ、
長野県上田市では松茸、
北海道羅臼町ではいくら丼、
和歌山県では子供たちが育てた野菜を使った鍋、
徳島県では伊勢エビなど、

 

できれば、私の職場の学食に即刻導入してほしいメニューが
これでもかと登場し、私のように給食に良い思い出の少ない大人たちに
軽いめまいを引き起こさせるだろう。

 

238ページ
今治の地産地消給食

 

愛媛県今治市の事項方式の学校給食事業は、
新自由主義に逆行するような、日本の中でも先駆的なものとして評判が高い。
以下、今治市役所農林振興課の職員として
この授業に深く関わった安井考の「地産地消と学校給食」に依拠しつつ紹介したい。

 

今治市の有機農業の取り組みは、
「採算を度外視して熱い想いで活動する人たちに支えられてきた

 

250ページ
月一回、大学生らの協力で朝食会を実践している高知市立第4小学校の校長は
「これは家庭の役割、学校はここまで、と線引きしたところで、
子供の食事にまで目が行き届かない事情は変わらない。

 

大事なのは、誰もが楽しく朝ごはんを食べられる場を、どう無理なく作るかだ」
と述べているようにパブリックとプライベートのはざまにある
給食の曖昧さこそが、その可能性を発揮する理由なのかもしれない。

 

「セーフティーネット」という言葉は
サーカスの芸などで誤って高いところから
落下する人を助ける網を意味する。

 

曲芸のたとえを用いれば、
給食は綱渡りの人生を死から救う網というよりは、
そもそも綱渡りをさせずに人生を歩んでいけるためのものである。

 

家で食べれなくても給食がある、
家が流されても調理場がある、という、
不安定な網を確かな道に変えていく効果を、私は給食の歴史に見たい。

 

255ページ

食べることは生きることの基本である。

 

手垢にまみれた言葉であれば、
この定理をまともに受けた教育は、
食育基本法を経たあとも、まだ一部を除いて実現していない。

 

読むこと、書くこと、話すこと、数えること、予測すること、
観察すること、疑問に思うこと、問題を立てること。

 

これらを解くことに収斂されつつある。
この点、文部官僚戦略が占領期に説いた
国語算数理科社会と給食の有機的結合という理念は
やはり再考に値するだろう。

 

食は、あらゆる学びの基本でもある。
食材を育て、料理し、配分し、食べ、片付ける、
という給食のあらゆるプロセスで、
具体性をもって身につくかもしれない。

 

もっといえば、日本の20世紀史を規定する水銀汚染も放射能汚染も給食から学べる。
人間が生き物の連鎖の上にしかその生を維持できないことは、給食が教えてくれる。
地域の農業、漁業も給食の食材として学べば、
知は紙上を滑るだけのものから、実地に根を張ったものになりうるだろう。

 

その理由は、教育には「雰囲気」が重要だからである。

 

言葉にしづらいが、
原徹一や中村鎮も何より私が聞き取った学校栄養職員や調理の人々も、
信念をもって行動していた人間がとくに意識していたように、
給食の時間には独特の空気がある。

 

普段おとなしい子も口を開けて食べていると安心するし、
普段やんちゃな子に嫌いなものがあっても
同じ時間に同じ場所で食べ、みんなで準備し片づける給食は、
不思議な教育効果をもたらしている。

 

給食に限らず、古来、神にささげた食べ物のあまりを
共同体の成員で分けて食べる「共食」現象は世界各地でみられるが、
それは共同体の意識を高め、紐帯を強化する役割を果たすといわれている。

 

給食の場合はそれに加え、これまで述べてきたような教育の本源に触れ、
教科相互の共振をもたらすものである。

 

それをもう少し考えてみよう
1968年刊行された「味と雰囲気」の中でドイツの精神病理学者である
フーベルトゥス・テレンバッハはこう述べている。

 

「口腔感覚は近さの感覚である」
「長いあいだ子供は他人からも他人のところでも何一つのものを受け取らないだろうが、
しかし、食卓で子供と食事をともにする人はその信頼を得ることができる。」

 

ここで味と訳されているドイツ語はGeshmackで
嗅覚と味覚を意味するように、
給食という空間は、においと味の共有によって、
教室やランチルームに独特の「近さ」の感覚を生み出すのである。
教育にこそ、食を活かさない手はない。