サンドウィッチマンの賑やかな食卓

キッチハイクという面白いアプリを見つけました。
食べるのが好き!という人同士で集まれる「食べ歩きが趣味になるグルメアプリ」
だそうで、著書もあり読んでみました。

記事の最後に内容を抜粋しています。

 

自分たちの手で何かを作る。
愛おしく感じたので、自分たちでも作るだけの週末をすごしました。

 

題して サンドウィッチパーティー。

朝から家族総出で
・食パン購入
・具を調理
・つめる

時短文化の流行のなか
時代おくれかもしれませんが
つくって食べるだけの日曜日。

 

いっけん無駄だけど、気持ちのいい一日だった。
なんだろうこの疲労感と爽快感。
やっぱにぎやかな食卓は面白いや。

 

長女が率先して具をつくっていると・・・

なんだか面白そうだと長男がよってきて・・・

次男は見ているだけど
兄姉の姿をみて何かを感じてくれている!?


そして公園でサンドイッチパーティー!

 

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キッチハイク~突撃!世界の晩御飯(山本雅也著)

4ページ
ようやく腑に落ちる仮説を発見した。
だいぶ時間かかってしまった。
挑戦に値すると確信した。

 

うまくいくかわからない。
でもやってみないと始まらない。
そんな眩しいものがある。

 

22ページ

台所が部屋にない。
ベランダだ。外にあるなんて
ドアを開けるとベランダのスペースに蛇口とシンクと調理台が外付けされていた
よくよく考えてみると換気扇もいらないし部屋ににおいがつく心配もない

 

30ページ

フィリピンは裕福な国ではない。
生まれた環境から抜け出す事は相当難しい。
それでも人々は幸せな日々を過ごす術を知ってるように見えた。
とにかく楽しそう。明るい。笑う。ご近所の仲が良い。
そんな雰囲気の中で食卓を囲んでたら、おいしいに決まっている。

 

なるほど、美味しく食べるから、おいしいのだ。
おいしさそのものには、きっと限界がある。
でも、美味しく食べる工夫には、限界がないのかもしれない。

厳選した素材と完璧なレシピで料理できる環境にある人なんて、
世界でも一握りだ。
それよりも、手に入るもので、なんやかんや、それなりに、
おいしい料理に仕上げる。

仲間や家族とにぎやかに食卓を囲み、毎日おいしくご飯を食べる。
いつだっておいしく食べるフィリピンスタイルに、僕は豊かさのヒント見つけた

36ページ
自分たちの手で何かを作る
手作りすること、分け合うことの幸せを知っている人たちの
共同体のように見えた。

会社員時代の僕は今まで覗いたことのない世界。
自分がこれまで行ったところは、別の世界に来た感覚を覚えた。

国や場所の問題ではない。生きるレイヤーが違うのだ。
日々の選択の優先順位が違う。

仕事に追われる日々に終わりをつけて旅に出て
こちらが見ることができたのはほんとに幸運だ。

38ページ
食への姿勢が丁寧な人が、生活も美しく、豊かだ。
丁寧すなわち完璧ということではない。

どうすれば愛着のあるものに囲まれた生活ができるかを知っている。
食生活と一言でいうけれど、食こそ、生活そのものだと思う。

キューバ
結局2時間も見ていた
同じ車1台もなかった

84ページ
家に余分なスペースは一切無いが、冷蔵庫は業務用の大きさだった。
こんなに味わいある暮らしをしていて、料理の造詣が深くないわけがない。
丁寧に食と向き合える人の生活は、いつだって潤っている。
日々をじっくり噛みしめる時間がある。人生を味わっているように思える。

90ページメキシコ
印象に残ったのは、どの店主の瞳もギラギラしていたこと。
魂の強さが伝わってきて、町全体がバッチリ目を開けている。

186ページ
僕は美食家では無い。いわゆるグルメにはなかなかなれない。
料理がおいしいだけの時間がモノ足りないと感じてしまう。
食を通じた出会いにこそ、喜びを覚えるのだ。

 

192ページ
ミシュランのような格付けを僕は好まない。顔も名前も明かさずに、料理を作った人とも話もせずに、料理に星をつけるなんてほんとにナンセンスだ。時代遅れでもある。ミシュランという発明がフランスの料理と食文化の価値を押し上げたのは確かだ。でもその一方でありもしない壁を作ってしまった気もする。料理を作る人と食べる人の距離は、近いほうが幸せだ。

以上、ご覧いただきありがとうございました。